わたしのHULA

<Hulaとの出逢い>

私は小さいときから泳ぐことが好きでした。

20台の頃は、海へ出かけてはボディーボードで遊んでいましたが、愉しく遊んだあと、その海に“感謝を表せたら”と思っていたところ、Hulaが思い浮かびました。

“愉しく遊ばせてくれてありがとう”と感謝を踊りで表したかったのです。

これが、Hulaを意識した最初の出来事でした。そしていつか習おうと思いながらも機会が無いまま時が過ぎ、気がつくと時が経っていました。

2001年、最初のHulaの先生と出逢いました。

当時、私は結婚を機に東京から徳島に転居したものの、馴れない地での生活に疲れ、家に引きこもり心を閉ざしそうになっていました。

その暮らしていた家の窓からは時間、天気、移りゆく季節とともにその表情を変化させる海が見えていました。

そんなとき、Hulaを習い始めたのです。 Hulaを踊りたいと思ってからかなりの時を経ていましたが、感謝の気持ちを込め、海に向かって踊ることができた嬉しさを昨日の事のように覚えています。

<Hulaの先生達>

Hulaをはじめてから、私は4人の先生と出会いお世話になりました。

どの先生も愛情と根気をもって指導し、Hulaが楽しいということを教えてくださいました。

初めて習った先生からは、「Hulaが幸せにしてくれるからね。続けてね」と言葉を頂きました。その言葉によって今までHulaを続けてこられました。

3人目の先生とは、おつきあいが長く、ボランティアでの老人施設慰問などを始め、コンサートなどの多くステージを経験させて頂き、人前で踊ることの楽しさ、バンドさんと協調できる楽しさ、見て頂いている方と一体になれたときの嬉しさなど様々なHulaの魅力を教えて頂きました。

その頃の私のHulaは、“習った振りつけを笑顔で踊る”ものでしたが、いつの頃からかHulaは笑って踊るだけではなく詩を伝えることではないか?と考えるようになっていました。

そしてHawaiʻiの師に出逢いました。彼女の精神にふれ”詩の意味を理解し、詩をHulaによって表現し、見て下さる方々に伝え共有できるHulaを踊りたい”という思いが益々強くなったのです。

<コンペティション>

私がコンペティションに出場するなんて考えてもいないことでしたが、幸運なことにコンペティション出場を目指している2人のHulaシスターと練習をともすることができました。

彼女達が努力し、変化し、そしてそれぞれの結果を残す姿を目の前で見ることで考え方が変わりました。

コンペティションは結果だけではなく、そこに向かう過程に意味があること、そして、私も変化したい、そして“ALOHA”の精神に近づきたいとの思いに気づくことができたのです。

甘くて弱い自分が努力することで、心の強いALOHAを持ったしなやかな女性に変わりたいとの思いからコンペティションに挑戦したのです。